ノート

「ノートを見たら授業の流れがわかるようにしましょう」

板書計画を作る際にはこれを意識しますし、授業中には生徒さんたちに言うようです。

私のころには鉛筆を使ってノートを書いていました。鉛筆ってどんどん文字が太くなっていくんです。私は筆圧が強い方ですし…。字は大きいし、近眼も相まって書いたノートは本当に汚くて、不十分で。プリントはすぐなくすし(汗)。あ、プリント配布の多い教科はファイルを準備するべきですね。

最初のページは丁寧に書くんですよ、ノート。なんか数ページするとその魔法の効果が切れてしまうようです。最初のページと終わりのページと「本当に同じ持ち主?」と思ってしまうぐらいの変容です。ですので私の場合はノートよりもルーズリーフを使う方が緊張感を保てるので好みです。そういえばありましたね、東大ノート。今もあるのかな(ありました)。

えっと、ノートの是非についてです。というかノートの取り方以外に使い方も指導しなくてはいけないと思うんです。私は手帳を使いこなすのも下手くそで…。パターンは読めたでしょう。そう、1月の中旬ぐらいまでは頑張って使うんです。予定を書き込んで、メモして。結局面倒くさくなって3月まで使ったことってないんじゃないかな(いえ、教務手帳のように4月に始まり3月に終わるものではなく、1月開始の12月終わりの手帳のお話です)。教務手帳は使ったことがありますが、あれも中途半端で…。あんなに生徒欄いらないからメモ欄を増やしてもらいたい…。蛇足でした。

知恵袋さんに「授業で板書をノートを書かせずにプリントにして渡した方が効率がいいのでは?」という質問があってその回答を見たのですが、回答としては「書くことが勉強だから」など板書をノートに写すことを肯定(擁護)する答え書いてあったのです。私は大変アレな話ですが自分で板書を写したノートは排泄物的な出来栄えになってしまうため、わざわざ見返したりしないんです。授業で「以前に書いたノートを見てみましょう」という指示でもあれば別ですが、消費されるもののような、書いてしまえばいいと思えてしまうような、再利用しようと思えないようなノートができてしまうので、ノートを書くこと自体は嫌いではなかったのですが有効活用はできていなかったということです。

文科省によると、

  1. 学習対象とする部分(段落など)を全文板書し、子ども達もまずそれを書き写す。
  2. 学習対象をそこに限定し、傍線や(行間・余白への)書き込みをほどこす。
文章をプリントして配付したクラスと、この方法によったクラスとでは、内容の記憶と把握に明らかな差が認めらた(中学生の例)。 5 板書:文部科学省 (mext.go.jp)

ですって。 ただこの調査はいつ行われたものなのか(プリント学習の慣れの程度は?)ノートの見返しの指導は行われていたのか、どのように内容の記憶と把握を確認したのかについての情報が欠落しているのが難点です。

はい、私、実は印刷代を考えなければ、ノートよりもプリント、その上、解答を書き込まずに再利用(テスト勉強で繰り返し使える)できる(たとえば穴埋めで各空欄に番号を振っておきノートに解答してもらって・プリントの裏に解答を印刷する)タイプが一番望ましいのではないかと考えています。

というのは、これも中学校の社会科(歴史)のお話ですが、単元のまとめでフローチャート式穴埋め式のプリントとその解答が配布され、その穴埋めの部分を答えられるようにすることである程度の点数が取れるようになったのです(30年近く前の話です)。

となると、普段の授業の板書の意味は?

おそらく、私にとってはお料理につける下味に似たものなのかなと思います。単元のまとめのプリントを見て知らない言葉ばかりでショックを受けないための準備というか。

お習字を習っていた私ですら自分で書いたノートを見返すのは嫌いでした。お習字を習っていない生徒さんだったらと思うと…。過去に書いたノートのページを現在・未来の授業で活用しないかぎり、あるいは授業でノートを書くことについての意味は分かりません。

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