先生=検査官・批評家? 宿題のあり方?について
教員免許取得を考えて大村はま先生に思いをはせています。手元に書籍がないため、あやふやな記憶なのですが、こんなことをおっしゃっています。 「教えない教師」より (前略)例えば、国語の場合、よくこういうことがあります。 まず、教室に子どもを入れて、開口一番、「読んできましたか」という人があります。これは何も教えないということになりませんか。学校はあくまで「学校」で、学習するところです。教室は学習室なのです。(中略) ところが、本来の学習室である学校を学習室にしないで、「読んできましたか」というのは、「読む」といういちばん大事なことは家庭でやるわけですから、それでは家庭が勉強の場所になり、学校は検査室になります。読んできたかどうかをみる検査室、読めるかどうかを調べる所、おっかない場所ですね、学校は。(後略) ( http://willseeds.txt-nifty.com/books/2008/06/post_5890.html を参照しています。) 授業のスタイルとして、家庭での予習の理解を授業でチェックするというものがありますね。たとえば英語の場合、本文の訳を家庭でやらせて、学校で生徒さんにそれを読ませてその正確度をチェック。教科書やワークの問題も家庭でやらせて授業で答え合わせ(解説がつくこともありますが)。そういう方法があり、それができるぐらいの学力をすべての生徒さんが持っている場合はそれはそれでいいのかなと思いますが、問題はそうでない場合です。 日本ではトラッキング(学力による編成)によるクラス編成はされず、全ての学級が同じぐらいのレベルになるように編成されることが多いようです。つまり、レベルの高い児童さんや生徒さんからそうでもない児童さんや生徒さんがばらけている状態で授業が行われます。一応真ん中ぐらいの児童さん・生徒さんに照準を当てて授業は進められます。そうするとそこに位置しない児童さん・生徒さんはお客さん・空気のような扱いになってしまうこともあるのではないかと思うんです。ただ、これも善し悪しで、学力が控えめの児童さん・生徒さんにはそれよりも上の児童さん・生徒さんと一緒に授業を受けることによる学力の向上がみられることもあるようです。 …何の話でしたっけ? 検査官・批評家的な授業に関してでしたね。つまり、宿題の出し方ですね。 前回の記事?でYahoo...